RagnarokOnline ...longing/love
04. 幸せな日々
それは闇? それは 幸せ
明るいことは明るいが、太陽とは全く異なった、熱のない光があたりを照らしている。薄く青みがかった、蛍の明かりをもっと強くしたような光だ。その色のせいか、はたまたは光の強さとは裏腹な薄ら寒さのせいか、真昼の明るさであるにもかかわらず、酷く物寂しい雰囲気を漂わせている。
本来ならば空が有るべき場所を、鈍く輝く岩盤がそのまま壁へと続く形で覆っていた。つまり此処は洞窟の奥深くなのである。壁自体が発光していること、また岩の天井が普通では考えられない高さにあり、空間自体並の村を二つ三つ集めたよりも遙かに広いことから、重苦しさは少々軽減されてはいる。
広大な空間は水で半ばを満たされた地底湖として存在し、そこに浮かぶ陸地には美しい意匠の建物が建ち並んでいた。その様はそのまま街であるが、街一つをすっぽりと収容することが出来るような空間を、柱も無しにどうやって支えているのかを知る者は現在居ない。
日の当たらない場所で一体どうやって生育しているのか、緑の木々が青々と茂り、普通の街や村と変わらない。ただ、人が全くと言っていいほど見あたらない。そしてまたよくよく注意して見れば、美しく葉を茂らせる植物は、一つたりとも花を付けてはいない。それが寒々しい違和感を増している。さらに建物に目を向けてみると、立ち並ぶ建物は皆、窓にはめ込まれた硝子が割れたり、そこから伺える室内は酷く散らかっていたり、略奪の後と思しき惨状が残されている。
ここはもう数百年も前に滅びたと言われる地下都市だ。発見された経緯は二代前の国王の時代に遡る。
当時魔法都市ゲフェン付近を異常気象が襲った。とにかく雨が降らない。川は干上がり湖は日増しに浅くなった。それでも元より水が豊富な地方であることが幸いし、国民が日干しになることは避けられたが、後々にも記録が残される程の奇異な事態ではあった。その年乾いた上流の湖の底付近に、地中に入ってゆく流れが発見された。水が干上がり歩く余地が出来たその流れを遡って鍾乳洞に入り、水脈を頼りにぐるり辿っていくと、互い違いに二層に分かれた素晴らしい透明度の巨大な地底湖が存在した。そこに浮かぶ島に、魔法と錬金術を駆使して作り上げられた水上都市があった。
それは三百年ほども前の文書に記述されていた都市だった。その美しさにヴァルハラとさえ呼ばれたと記されている。敵対国に一夜にして攻め滅ぼされたというのが定説だが、当時要塞とまで称されたという記録が残る難攻不落の都市国家が、何故一瞬にして滅び去ったかは分からない。ただ今も、在りし日に人々の暮らしを支えた光はあたりを照らし、時間の流れに従って、昼夜のごとくその明るさを変えた。人々が消えても、優れた技術力の賜である魔力機関は、なお魔力の一部を残し、動き続けているのだった。
呪われた都市と、今を生きる人は言った。
それはこの陽光差さぬ地の底で、生きる物の気配など何一つ無くただひっそりと無機質に建物だけが数百年に渡り存在しつづける様を指した言葉だ。廃墟というにはあまりに美しく残るこの場所は、死の街と言うに相応しかった。静かに、ひたすらにしんと静かに、地底湖に流れ込む地下水脈の流れ落ちる水音だけが響く空虚な空洞を、青みがかった真白に近い光が照らしている。
太陽の強く眩しくも暖かい光とは決定的に違う。どこか死をすら思わせる。まだここに人が存在した頃には太陽と同じ光をたたえていたのかもしれない。長いときを過ごす間に光さえ死につつあるのかもしれない。だから草木は花をつけることを忘れたのか。それはもう、ここに住んでいた人が全て喪われた今では誰もわからない。
一度は栄華を極めた街。
それが滅びたことは事実であった。
そこを調査するために派遣された者達の多くが、不幸な目に遭ったり妙な死に方をしたのもまた、事実だった。
だからその地下の、かつての美しさの面影だけをわずかに残す静かな街を知る人は、それを呪われた都市と言った。
誰も近づかなかった。近づけば呪いが我が身に降りかかると人は信じた。二年たち鍾乳洞が再び水底に沈む頃には、人々はもうその都市のことを忘れかけていた。入り口は閉ざされ再び都市は地下に葬られるのだと思っていた。湖の底でゆらめく暗い入り口以外に、別の入り口が、本来その地下都市の住民が使っていた隠された入り口があることなど、勿論知る由もなかった。
ひっそりと、ほんの少数の識者の手に寄ってその都市は調べられた。密やかに出された王の命に名乗りを上げた数少ない物好き達は皆素晴らしく頭が良かったが、それでもその都市がいかにして無人のまま今も存在しているのかを知ることは難しかった。
その内、何代目かの調査団で、錬金術師数人が地底湖に浮かぶに至って、完全に都市の探索は頓挫した。
得体の知れない街、である。
朝が来て昼が来て夜が来る。年中気温は一定に保たれ(花をつけないまでも)草木は茂る。本来ならば太陽の光を浴びず生きてゆくことのできないはずの植物が曲がりなりにもここで生育できる理由を誰も知らない。どうやって昼夜を制御しているのかも知らない。この地の底に魔物が居ないという保証もない。ただ調査団がこの広大な空間で出会わなかっただけのことかもしれないのだ。あまつさえここで過ごした面々の末路はお世辞にも幸福と言い難いものが多いとくれば、誰がこんな場所で暮らしたいと思うだろうか。
その、建物が並ぶだけの命無き街の片隅で数年を生きることを余儀なくされた子供のことを知っていたならば、何と不幸なと間違いなく人は言っただろう。明るい太陽を浴びることのない日焼けひとつしない青白い皮膚を哀れんだだろう。本一冊、林檎ひとつ思うままに買いに行けない、それどころか同じ年の頃の子供と遊ぶことさえ叶わない、ほんの数人の人間が世界の全ての、まだ年端もゆかない子供に同情しただろう。子供が本来ならこの国の王子として敬われていたはずの存在だと知っていれば尚その思いは強まるだろう。
けれどそれは同情だろうか。
思いを同じくすることだろうか。
否、それは哀れみであって真の意味の同情ではなかった。
彼はけして不幸ではなかった。
誰が彼を哀れだと嘆いても、彼が自分自身の境涯を心底から恨み嘆いたことは、地の底で過ごしたその数年で、ただの一度たりと無かったのだ。
乾いた音が響く。金属を打ち付けあう音だ。水が流れる以外に目立った音もない人気の感じられない空間に、それは相当の違和感を持って響き渡っていた。慣れた者ならば、それが剣戟であるとすぐに感じ取っただろう。間を開けずに二撃三撃とせわしなく続いたと思えば、何もなかったかのようにしんと静まりかえる瞬間がある。奪うに足るものも守るべきものも残されていないこの場所に酷く不似合いな、真剣を帯びた勝負の空気があった。
誰もいないとうに滅びた街の片隅に彼らは居た。
片方は青年だ。さらさらと揺れる髪が秀麗な面立ちを縁取っている。冷徹を貼り付けた、感情の起伏に乏しい冷たい表情は、整っているが故に迫力を増す。一見して黒髪だが、この洞窟を満たす燐光が強く当たった部分だけが、瞳と同じ濃紺に透けていた。そこかしこに十字と翼をかたどった文様をあしらった、優美ではあるが重装甲の鎧を身につけ、しかしその重さを感じさせない足捌きで長剣を振るっている。
もう一方は少年である。むしろ子供と言っても良い。それほど多分に幼さを残してはいるが十分に美形というに値する、気品すら感じられる端正さを有する顔立ちも、短めに切りそろえ整えた柔い蜜色の金髪の美しさも目を引いたが、どこも非の打ち所がない容貌の中でも、右は青、左は金、どちらも貴石のごとき色違いの瞳が一際目立った。纏う衣服に絢爛さは無いながら、やはり羽根の模様が丁寧に刺繍されており、仕立ても布地も上等であることが見て取れる。うっすらと青白い燐光に照らされてなお不健康よりは凛々しさを漂わせ、青年よりは少し短めの剣を構えながら前を見据える様の厳粛は、聖書の一幕の挿絵を思わせた。
青年が長剣の束を握り直すと同時、少年も自らの剣の存在を確かめるようにその手のひらに力を込めた。吐いた息は、細く、長く、次第に緊張と興奮でわずか震えた。そこには戦場と表して差し支えない緊迫が確かにあった。だが。
「昼食の準備ができましたよ。そろそろ休憩してお昼にしませんか」
どことはなし暢気さすら漂わす柔らかい声色で、その緊迫した空気にはいっそ乱暴なまでの唐突さをもって誰かが彼らを呼んで、緊張は一気に霧散した。彼らの表情から、殺気に近い真剣が跡形もなく消え去る。少年はぱっと顔を輝かせ、年に不相応な厳しさをこぼれるような笑顔に変えて、刃の無い鍛錬用の剣を鞘に収めるのももどかしく、自分を呼んだ相手の元へと軽い足取りで走っていった。その後を追って歩く青年の、残酷さえ垣間見せる冷徹な無表情も、かすかに、しかしはっきりと和らいでいる。
建物が少しまばらになるあたり、ただの一軒だけ、人の生活する気配の感じられる家屋があった。窓の硝子は一枚も割れてはおらず、カーテンが下がっており、それを通して見える室内は綺麗に整頓され掃除されている。何よりそこには、無人の建物から隠しようもなく滲む空虚さというものが無い。
その玄関扉の前に、一人の少年が立っていた。先の金髪の彼よりは明確に年上である。しかし青年と言うにはまだどこか幼い。くるぶしまで届こうかというほど長い上衣は、上等の黒い布地に金糸銀糸の細かな縫い取りが施された、聖職者の法衣だった。大きな紫の瞳と白いまぶたに長い睫が影を落とす、繊細な顔立ちである。可愛いらしいといったほうがしっくりくる容貌の為か、金髪の少年より年かさであることは明確に見て取れるにもかかわらず、ふとした瞬間にそれよりも幼げに映った。
ノイエ。建物の前にいた彼の名を呼んで、金髪の少年は飛びつかんばかりに駆け寄った。ノイエはそれに笑って応える。今日はどうでしたか。その言葉に、少年――シャルスは、ほんの少し、拗ねたように唇を尖らせた。今日も負けた。諦めの混じらない悔しさを滲ませて言いながら、それと同時に左手を心持ち後ろにやったのを、ノイエは見落とさない。
ほら、手を出して、とやんわり促され、シャルスはしぶしぶ左手をノイエの前に差し出した。手首がものの見事に腫れ上がっている。他にも顔やら腕やら足やら、およそ場所を選ばずに擦り傷切り傷打ち身の類があるのだが、左手首のそれが一番重傷と思われた。
「こんな怪我をしたのなら一旦戻っていらっしゃい、痛むでしょうに」
ノイエの口調には呆れよりは諦めが多分に含まれていて、シャルスがしょっちゅう怪我をしては放ってそのまま稽古を続けることを伺わせた。平気だよ、というシャルスの言葉は、ノイエの読みが間違いでは無いのだと示す。痛まないのならば痛くないとシャルスは答えるはずだからだ。
「平気なものか、俺の打ち込みをまともに食らったのはどこのどいつだ」
斜め上方から降ってきた声に、シャルスは振り向いて、余計なことをと言わんばかりに後ろからやってきた青年を睨み付けた。青年はレーベンという。週に三度、様子を見がてらシャルスに剣術を教えにやって来る、城付きの騎士団の団員だ。シャルスが睨むのなど意にも介さず青年は続ける。
「骨は折れていないと思うが相当痛むだろうから早々に治してやってくれ。怪我をさせた当の本人が言うのも何だがな」
ノイエは苦笑混じりに笑って頷いて、シャルスの手の傷に負担をかけないよう細心の注意を払って手を添えた。
彼が小さな声で呟いた二言三言の単語の正確な意味を、他の二人は知らない。それは聖職者達が得手とする神聖言語であり、聖書を元とした昔語りと建国神話以外に神学に触れる機会がない彼らは、当然ながら神聖言語にもほとんど馴染みがないからだ。しかしそれが治癒の祝詞の一節であることは知っている。今まで幾度と無く、ノイエがシャルスの(そして時にはレーベンの)傷を治すときに耳にしてきた単語は、単語ではなく音の羅列としてではあるが、彼らにとって耳慣れたものとなっていた。
温度など無いのに暖かみを感じさせる金緑の光が、ノイエの細い指を、薄い手のひらを覆い、シャルスの傷を包む。平気だと強がったところで増すばかりだった痛みが溶けるように消えていくのを、シャルスは感じた。それも慣れた感覚だったが、慣れていてもなお、いつも不思議に思えた。
痛みも腫れも、最初から無かったようにシャルスの手から消えた。体中の細かな傷も、ゆっくりと塞がり後も残さず失せていく。いつもながら見事なものだ、と、レーベンは感嘆混じりに呟いた。青年の鎧に刻まれた美しい羽文様は、騎士団の中でも国王直属の隊にのみ許されたものだ。その直属部隊に籍を置くプリースト達の中にもこれだけの能力を発揮する者は稀なのである。
シャルスは手の感覚を確かめるように何度か手のひらを握っては緩めた。力を込めても少しも痛まなかったし、何一つ違和感も無かった。痛む場所はもうありませんかとノイエが言う。彼はいつだって一度で傷を治しきってしまうのに、必ずそう尋ねる。
大丈夫治ったよと答えると、ノイエは笑った。そしてシャルスのさっきまでは怪我をしていた手を引いて、じゃあ食事にしましょうか、と、彼らが暮らす家の方へ歩き出した。シャルスは自分の手を握り締めるやわらかい手のひらに目をやる。ノイエはゆっくりと前を歩く。無意識かそれとも自覚してかそれはわからない。だがその緩やかな歩調は子供に合わせるものだ。
痛む場所はありませんかと。かすり傷ひとつ残っていなくてもなお尋ねられるたび、大切に思われているのだという気がして、昔はそれがただ嬉しかったことをシャルスは覚えている。けれど今は少し不満だった。こんなにきれいに傷が治っていて、そこにたとえ少々痛みが残っていたところで、その程度の痛みさえ我慢できないほど子供ではないのだ。
ねえ僕はもう君と同じ速さで歩けると、言いたくて、けれど言えない。幼い子供のときと変らない扱いを受けること自体には焦れても、やわらかいあたたかい手のひらが自分に触れているのは心地よかった。だからそうやってノイエがゆっくり歩くのを止めさせてしまうことは、彼にはできないのだった。
ノイエの一歩後ろを歩きながら小さな子供のように手を引かれ微妙な表情を浮かべるシャルスを眺め、レーベンはかすかに笑う。剣術を教え始めた頃と比べれば随分シャルスは背が伸びた。力も強くなった。子供子供していた顔つきは大分凛々しさを増した。そうやって段々と子供ではなくなってゆく、そしてだからこそ子供ではないのだと言って優しい手を離してしまうことを惜しむ少年を、微笑ましいと彼は思っていた。言えば少年は子供扱いするなと怒ることを知っていたので勿論口には出さなかったが。そして同時に、少年が大人に近づいていくのを、どこか哀れんでもいた。
少年は自分の置かれた境遇の意味を、自分を愛し慈しんでくれる者が引き替えにしてきた全てを理解するだろう。そうすれば自分に優しく触れるあたたかい手の心地よさにただ身をゆだねることなど出来なくなるに違いない。少年は賢い。知らずには居られまい。あるいはもしかしたらもう知っているのか。だからそれほどにひたむきに強くなろうとするのか。自分が負う傷も恐れず、へとへとに疲れ果てることも厭わずに、ただ自分に寄り添い続けてくれた相手に何か返せる自分になれるようにと。
レーベンは小さく息を吐いた。
彼らがそう信じるように、約束の日が、少年が自由になれる日が、せめてその日だけは無事訪れるようにと、この地下に来る度に、レーベンはいつも願う。
食事の後はまたしばらく稽古だった。それが終わって家に入るとシャルスはぐったりとソファに座り込んだ。朝から昼食以外ほとんど休み無しでやっているのだから疲れ果てて当然である。
休憩を挟めと言っても聞こうとしないのはシャルスの方である。週に半分しか無い機会は最大限利用したいというのが本人の言い分で、言って聞かないのなら仕方ないと付き合うのがレーベンだ。そしてシャルスがもういい加減動けなくなるまで稽古に付き合っても、レーベンはまだ平然としている。それはもう鍛錬の積み重ねと年齢の差による絶対的な体力の違いから来るもので、まだ十四にしかならないシャルスがどんなに頑張ったところでかなうものではないのだが、シャルスはそれがいつも悔しかった。
ノイエが飲み物を持ってきたときには、シャルスはソファで寝入ってしまっていた。ノイエは笑って、畳んでサイドテーブルに置いてあった肩掛けを広げ、眠るシャルスにかけてやった。それはノイエが昔から使っている肩掛けだが、稽古の後しかり、夜しかり、自分の寝床に行く前にここで寝てしまうシャルスの毛布代わりになっていることのほうが多いのだった。
それからノイエは持ってきた飲み物を、シャルスが寝ているソファからは少し離れた長椅子に腰掛けているレーベンに渡し、自分もその近くに腰を下ろした。話し声で起こしてしまわないようにと、けれど目が覚めたとき一人では寂しいだろうからと、彼らはシャルスが眠っているときはいつもそこで話した。シャルスが一人を寂しがるような年では無くなっても、それは変らなかった。
今日の分は、と、レーベンが尋ねる。はたと気付いてノイエは懐から数通の手紙を出し、いつもありがとうございますと言って手渡した。
レーベンは週に三度、王の命でこの城から離れた地の底にやってくる。そのときに、滅多とここには来られないノイエの両親や兄姉から手紙や差し入れを届け、帰りにはノイエからの返事を預かるのが習慣だった。ノイエは朝に手紙を受け取り、レーベンとシャルスが稽古をしている間に返事を書き、夕刻レーベンが城に帰る前に預ける。そのやりとりは、レーベンが此処を訪れるようになってから欠かさず続いている。ノイエが渡した封筒には、いつものように、綺麗な字で家族の名前が書いてあった。両親、兄姉、一人ずつに、それぞれ手紙を書く。年に数度しか顔を合わせられない家族との唯一と言って良い繋がりを、ノイエはとても大事にしている。
稽古の後は大抵シャルスは疲れて眠ってしまう。だからいつも夕食の前まで、二人は話をして過ごす。家族は元気にしているかとか、城の様子はどうだとか、そろそろ暖かくなり始めたとかいう、他愛ない内容の話だ。たまにチェスなどに興じることもある。
レーベンは普段そんな穏やかな時間の使い方をすることはほとんどない。それは騎士団の中でも指折りの力を持つ彼の立場としては当然のことであるし、彼自身の性格からくるものでもある。また、彼の生まれ育ちも理由のひとつでもある。彼はそうやってゆったりと時間を使う習慣があるような家に生まれたのではなかった。けれどここに来なければ自分からは選ぼうとしないその過ごし方を、いつしか彼は気に入っていた。
少し高めの柔らかい声で話すノイエの横顔を眺めながら、レーベンは紅茶を一口含んだ。
初めて顔を合わせたのは四年前か。それまでも祭事の折りに遠目に見かけることはあったが、近くで対峙したのはそれが最初だった。遠くから眺めるよりもずっと細く小さく幼いのに驚いた。
今も同じ年頃の人間と比べればいささか背丈は低く体格もお世辞にも立派とは言えないが、それでも随分と大人になったものだ。それだけの時間が過ぎたということである。
「…あと少しだな」
ソファで眠るシャルスに視線をやり、紅茶のカップをソーサーに置く音と共にレーベンが呟いた言葉に、ノイエは静かに頷いた。
ほの暗い燐光が照らす、昼も夜も曖昧な場所で、時間はゆっくりと確実に過ぎていた。シャルスの手足はまだ伸びきっていなかったが、その体躯から幼い子供の丸っこさは消え、細身ながらしっかりと鍛えられているのが服の上からでも伺える。剣の腕も結構なものだ。
手合わせしては徹底的に打ち負かされてばかりの本人は、自分は弱いと思っている。けれどそれは単に相手が悪いのだ。レーベンは剣の腕なら騎士団随一とも言われていた。実際はそこらの並の剣士はおろか、城に詰めている騎士達と比べても遜色ない程度には、シャルスの剣の扱いは上達していた。閉ざされたこの場所を出て、たとえば一人で身を立てることも、これならば可能だろう。騎士団の一員としてでも、冒険者でも。ただしそれが許されるのならば。
十四の誕生日が過ぎて三つ目の季節だ。あと少しで彼は十五になる。長く望んで止まなかった日が、もうすぐやってくる。残された幾月かを、それまでの十年以上と同じように、傍目から見れば不幸以外の何物でもない境涯とは不釣り合いなほど穏やかに暮らしながら、彼らはただ、自由が与えられる日を待っていた。
「長かったか?」
何となし、レーベンは問うた。問いを投げかけてから、愚問だったと思った。待ち続ける十年が、長くないわけがない。何を聞こうが目にしようが表情を変えないのが常のレーベンが珍しくかすかに顔をしかめたのをノイエは見て、少し笑って答えた。
「長いと、思っていました」
静かな柔らかい声だ。
「過ぎてみれば、あっという間だった気もします」
目を伏せたのは、昔を思い出しているのか。
「あんなにも、あんなにも待ち望んでいたのに、その日が近づいてくると、何だか」
ノイエはそこで言葉を切った。そしてその先は唇から出てこなかった。怖ろしい。そう言おうとしたのだと、レーベンは察した。言ってしまえばその危惧が本当になりそうで言えなかったのだろうと思った。あの王が、本当にシャルスの自由を許すのか。彼らを知る誰もが感じてきた不安を、ノイエもまた、その胸から消し去ることができないのだろう。
ぽん、と、軽く、レーベンはノイエの頭を撫でた。
大丈夫だと彼は言ってやりたかったが、彼は立場上、王の気性を(ノイエよりも遙かに)よく知っている。いかに王がシャルスの存在を忌み嫌っているかも知っている。王はその名すらけして口にしようとしない。本当に不吉な星見だけがあの嫌悪の原因なのか。疑いたくなるほどの底深い、憎悪と言っても良いあの感情を、レーベンはこの数年、嫌というほど見てきた。だから、彼は、ただの気休めにも頼りない、大丈夫だという言葉を、口に出せなかった。ただ、自分よりも十ほども年の離れた、本当ならまだ家族の庇護を受けていてもおかしくない目の前の少年を少しでも安心させてやれたらという思いが、手を伸ばさせた。
ノイエは驚いた顔をして、それから頬笑んで、ありがとうと言った。そして、あなたといると兄上を思い出すと付け加えた。レーベンは少々面食らって数度目を瞬いた。兄上とはお前の長兄のことか、という問いにノイエが笑って頷くと、さらにレーベンは妙な顔をした。それは彼が城にいるときや任務に赴くときにはけして見せないような少し間の抜けた顔だった。
まさか司祭殿に似ていると言われるとは夢にも思わなかったとレーベンは呟いた。その言葉は、どこかかすかに自嘲めいていた。
ノイエは彼の自嘲も知った上で穏やかにまるで赦すように笑った。シャルスは静かな寝息を立てながらノイエの肩掛けにくるまって心地良さげに眠っていた。
後、季節ひとつ分だった。
時計の針が進み暦が進み、その日は来ようとしていた。
その日は来る、はずだった。
えーと一体どんだけ間が空きましたか。
一年半近くですか。
すいませんすいませんすいませn
普段滅多に長編書かないからエピソード並べる順番に困って止まったとかとんだ言い訳です
読んでくださってた方ごめんなさいorz
ちょっと思うところもあるので終わりに向けてガシガシ書いていこうと思います(´・ω・`)ノ
2007年11月21日 19:31
