RagnarokOnline ...longing/love
00.薄闇
闇の奥底 惨劇と、邂逅と
最早どうでも良いことであり、また言っても詮無いが、最初にここに来ようと言い出したのは、今そこに転がっている手足のない誰だったかだ。無論もうぴくりとも動かない。名前も覚えていないのを薄情だと言うほどの付き合いも無いまま二度と会話も望めなくなってしまった誰かに、ただ目をつむるだけの黙祷を捧げる余裕すら、ここに居合わせた誰一人として残してはいなかった。
それは惨劇そのものだった。
そこら中どこに目を向けても、何処かしら赤く染まっていた。勿論それは誰かの血であり、しかも血を流すだけで済んだのならばまだ良い方だった。大抵は腕を切りとばされ、或いは足を千切られ、どうかすると頭までもげていたり、身体が二つかそれ以上に分れてしまっている者さえ珍しくもなかった。倒れている中にはまだ息がある者も居たが、手の施しようも無いこの有様では、もって半時だろう。全滅も近い。惨劇の真ん中から少し逸れた位置で、遺跡の壁に身体をもたせかけて息を整えようと必死で深呼吸をする一人のプリーストは、死体と怪我人の区別も付かないような惨状を見ながら、そう思った。
繰り広げられているのは、もう戦いですらなかった。これはただの一方的な殺戮だった。この場に留まり立ち向かって、万に一つも勝利が見込めるかというと、答えは否だ。間違いもなく、残らず惨殺されるだろう。過半数がそう判断するに至って、誰かが、切り伏せられ倒れる瞬間に、逃げろ、と呟いた。それを皮切りに、皆散り散りに逃げ出した。残っているのは、逃げることをどうしても良しとしなかった数人と、逃げることすらできず死んだ、あるいは動けないほどの傷を負った者達だけであり、このプリーストは後者だった。彼は片足を半分潰されていた。精神力もほとんど尽きていて、回復魔法すらろくに使うこともできなかった。
ここは遙か昔、人が暮らしていた都市が有った場所であり、その遺跡を封じる形で現在の街が形成されたのだという。それを裏付けるように、あたりには古めかしい意匠の、今にも崩れそうな建物が建ち並んでいる。
彼は、そのうちの一つに身を隠すつもりだった。壁に体重を預けて怪我を極力かばい、門がある場所まで、片足を引きずりながら歩く。走れないこの足では逃げ切れるはずがなかった。たとえあの魔物から運良く逃れても、この遺跡を出る前に他の魔物に襲われるだろう。まともに魔法すら使えないプリースト一人で立ち向かえるはずもない。それならしばらく隠れてやり過ごしながら精神力を少しでも回復する方に賭けようと思った。一回で良い、魔法を使うだけの精神力が戻れば、空間を繋ぐ術で街に戻れるはずだった。
彼はやっとのことで門から壁の内側に回り込み、朽ちているのか生きているのかよくわからない木の隙間の暗がりに身体を滑り込ませ、息を潜めた。外は初夏だというのに、微塵もその気配を感じさせないうっすらと冷たい湿った空気が、首筋や指先を冷やした。そうでなくても緊張と恐怖に張りつめて血の気の失せた皮膚から、さらに温度が奪われる。しかし、手やつま先をこすりあわせる音でさえも魔物は聞き取るのではないかという気がして、彼は、身動き一つせずにじっとうずくまっていた。
細い声が聞こえた。それは断末魔だと直観した。意外なほど凄惨さを感じさせない小さく短い声が、最後の悲鳴さえ上げることを許さないほどの相手の優位を示しているように思えて、耳を塞ぎたい衝動に駆られた。
何故こんなところに来ようと思ったのだろう。
はやく。はやく。はやく。
外に。
そればかりを考えた。
がくがくと膝が震えた。指も肩も首も何もかも震えていた。震える身体が、静かな空気をも震わせて音になるような気がして、肩を押さえつけた。しかし、震える手で押さえたところでどうなるわけもない。そうしてふと、すっかり音が聞こえなくなっていることに気付いた。
元々こちらの数が減ってきてからは、剣戟の音さえまともに聞こえなかった。剣を使う者が残っていなかったわけではない。ただ、相手が圧倒的に速かった。一閃した血まみれの切っ先を受け止めきれる者がほとんどいなかったのだ。戦いは続いているというのに悲鳴と呻き声だけが空間を横切る。目にしたこともないそんな光景に、誰もが鳥肌を立てていた。
そして今、悲鳴すらも途絶えた。つまりそれは、彼を除く他の全ての人間が力尽きたということに他ならなかった。
標的を失った魔物は何処へ行ったのか。去ったか。他の一団を捜しに。それとも。
息さえ忘れて、彼は待った。去ったという確信が持てる何かを。
だが。
壁の向こうに、何かを感じた。荒い息のような音。悪夢の名前を持つ、馬の姿をした魔物の気配。
彼が絶叫しなかったのは、押しとどめたのではなく、既にもう声さえ出ないほどに自分の身体が自由にならなかったからだった。口を押さえるまでもなく、悲鳴は喉よりもずっと奥の方で声にならずに消えた。
高く長いきしんだ音を立てて開く門とは対照的に、自身は足音一つ立てず、一人の男が入ってきた。木の葉の隙間から辛うじて見える横顔は、彼の知っている顔をしていた。ほんの半刻前まで笑って話をし、初めて足を踏み入れるというこの遺跡に事ある毎に感嘆の声を上げていた、まだ若い騎士の顔だった。だがそれは彼ではあり得ない。彼はさっき、確かに死んだ。首から血を吹き上げて、目を見開いたままの驚きの表情で、一言も残さずに事切れた。この目で見たのだ。
だから今目の前にいるのは、紛れもなく魔物だ。
恐怖に目を見開き、悲鳴になり損なった音を口からかすかにこぼすプリーストの脳裏に、時折人々の間で語られる話がよぎった。
裏切りの遺跡。此処はそのような二つ名で呼ばれることのある場所だった。魔物に襲われる。応戦する中、仲間の一人に突然斬りつけられる。何が起こったかも解らない。何故と叫ぶ間に次は別の仲間が狂う。死体が瞬く間に増えてゆく。運良く生き残った者も、大抵は態勢を立て直す間もなく他の魔物達に殺される。惨禍に出会いながらも僅かに逃げ延びた生還者は、口々に恐怖を語った。悪夢だった。そう一言だけ呟いて口を噤んだ者も居た。世界を呪って滅んだ人々の恨みが、ここを訪れる者達を狂わせるのだとも言われた。
そしてあるとき、気付いた者が居た。裏切りではないのだ。人と同じ姿形をした魔物は、誰かの、おそらくは自分が殺した人間の、あるいは対峙した相手の姿を写し取る。その姿で別の誰かを殺し、姿を変えて、また殺し、まわり全ての者を殺し尽くすまで止まらない。それが、仲間に裏切られ殺されるという悲劇を作る。それに気付いた者は、魔物に胴をえぐられ足を片方切り落とされながらも辛うじて命を残した一人の魔法士だった。彼は、自分の姿をした何かが、自分には到底振り回せないような長剣を軽々と薙いで、一片のためらいも無く仲間を殺すのを確かに見たのだった。
その魔物は、誰にともなく、ドッペルゲンガーと呼ばれるようになった。
生き写し。分身。あるいは自身の姿を目にする幻覚。そのような意味の言葉で。
無論遺跡を訪れた者皆がその魔物に遭う訳では無く、迷信だ、勘違いだ、単に旅仲間に裏切られて皆殺しにあっただけだ、等と言う向きもあった。そして、今犠牲者になろうとしているプリーストもまた、その一員だった。だが、彼はその自分の認識の間違いを、この上もなく決定的な形で示された。
目の前に迫る死に、身体の全てが凍り付いたように動くこともできずにいるプリーストの前で、その、騎士の姿を写した魔物は、ゆっくりと、しかし確かに、見えない位置にいるはずの彼の方へとその顔を向けた。死んだ騎士のものであったときには笑顔が人懐っこかったのが、今はとても造作が同じとは思えなかった。その無表情には明確で純然な殺意だけがあった。それは人が浮かべるとは思えない冷徹な表情であり、人には持つことすら不可能だろう徹底的な殺意だった。
体中に響いているのではないかと思えるほどがちがちと音を立てて歯の根が鳴った。まるで他人事のように、そういえば、魔物の中には、目視ではなく命そのものの気配を感じ取って襲いかかってくるものがいると聞いたことがあったと思い出す。隠れても無駄だったのか。そう思った。それは確実になった死への覚悟ではなかった。諦めに限りなく近い麻痺であった。
魔物は何の感慨も罪悪も無く、プリーストの前に立った。薄暗い遺跡の陰で何もかもが群青に染まる中、最早誰のとも付かぬ血のどす黒い赤と鬼火のような青い光を弾く銀色の刃だけが鮮やかに翻った。
死んだと思った。そしてそう思うこと自体まだ死んでいないことの現われだと気付いた。切っ先は髪の一筋も落とすことなく、プリーストの傍を通り過ぎていた。
はっとして顔を上げる。そこにはもう、あの騎士の顔は無かった。他のどの仲間の顔とも違っていた。それは彼の知らない顔だった。短めの金髪に青と赤の瞳の、まだ若い、むしろ幼いと言っても良い、青年と呼ぶにはまだ明らかに早い少年だった。そして少年は、おそらくは先ほどの騎士の姿を奪った魔物であろう彼は、虐殺を極めてさえ少しも動かすことの無かった表情を、僅かに変えていた。気品さえ感じられる整った顔に浮かんでいるのは驚きであった。
ノイエ。そう聞こえた。それが目の前の魔物が上げた声であると判断するまでに少しの時間が要った。プリーストは、今の今まで、ただ殺すという意志であるところの殺意以外の何かが、たとえば自身に声を上げさせるような、驚きや喜びといった何かが、その魔物の中に存在していることを、針の先ほども考えつかなかったのだった。
少しかすれた小さな声だった。子供のものではないが大人には程遠かった。呆然と硬直したプリーストの耳に届いたその響きは、人を呼ぶものだ。だが、彼の名前はヘルデノイツといった。誰を呼んだのか、ヘルデノイツは判じかねた。少年の目は明らかに自分を見ている。しかし彼が本当に誰かを呼んだとするならば、それは自分ではないことは確かだと、ヘルデノイツは思った。
問い返すこともできず、動くもならず、ヘルデノイツはただそこで息を殺して身体を強張らせ時が過ぎるのを感じていた。どれくらい過ぎたのかは解らなかった。ただ過ぎていくという感触が意識を通り過ぎていっただけで、それが短い間なのか、それとも長かったのかは彼の認識の範疇では無かった。
唐突に、少年は、抜き身の剣を手から下げたまま踵を返し、プリーストを置いて歩き出した。それに従う様に、周囲を取り巻いていた馬の魔物も後を追った。
少年の足は、一歩目では床を踏んだ。二歩目で闇を踏み抜いた。その闇が何処から湧いて出たものなのかは解らなかった。少年は、ただ闇としか表現の仕様が無い黒く暗い何かに、足から、腕から、肩から、胴から、あらゆる場所から熔けていった。彼が闇に変わって端から削れ、ひらひらと崩れていくようでもあった。
少年が群青の薄闇に消えても、ヘルデノイツはしばらく動けなかった。何処へ去ったのかはおろか、何故助かったのか、それも解らなかった。
身体からも意識からも力が抜ける。そのまま薄ら寒い物陰に倒れ伏してしまいそうになるのを、どうにか奮い立たせて立ち上がった。痛みの塊のようになった足を引きずりながら、いつ崩れてもおかしくなさそうな古い建物の扉を開けた。さっき門が開いたときと同じような、耳障りこの上ない音とともに、扉は開いたが、錆び付いて動きづらい。ヘルデノイツはどうにか身体が通るだけの隙間を開けて中に滑り込み、精一杯の力でもって扉を閉じた。
床には厚く埃が積もっていた。彼はどちらかといえば潔癖な方だ。埃など敬遠する対象以外の何物でもなかったが、今ばかりはその埃が有り難かった。魔物とはいえ、埃に何の痕跡も残さずに床を歩くことなどできないはずだ。目の前の埃には足跡一つ無かった。蝙蝠の一匹や二匹は住み着いているかもしれないが、おそらくこの建物の中には魔物は入ってこないのだろう。
ひとまずは命の危険は去った。
そう思った瞬間に、緊張の糸がふっと切れた。
倒れ込んで眠ってしまいたい。それでも扉の側にいるのは恐ろしかった。また何かが扉を開けて入ってきたら? さっき木陰で息を潜めていたときの恐怖がじわじわと指先を締め付ける。唇を噛み、痛みを堪えながら、一歩一歩、足を引きずり、薄暗い廊下を奥へと進んだ。休めるような場所はないだろうかという思いもあった。古めかしい造りではあったが、この建物は住居であるように見えた。
建物は外から見た様子よりも大きいようだった。厨房や食堂があった。二階建てだったが、階段を上れる程には足は動かなかった。廊下の突き当たりに、半分壊れて外れかけている扉が見えた。
隙間からのぞき込むと、そこは書斎のようだった。結構な広さの部屋だ。本棚が整然と並ぶ中、隅の方に大きなソファが見えた。ヘルデノイツは、もたれかかるようにして扉を開けると、ソファに向かって歩き出した。
どさ、という鈍い音とともに、埃を舞い上げながら、布張りのソファに腰を下ろし、そのままぐったりと身体を横にした。座り込んだ拍子にぶつけた足がしびれるほど痛んだ。古いものにしては妙に心地よく感じるのは、身体が疲弊しきっているからだろうが、それを差し引いても、古いソファは、埃まみれであることを除けば、柔らかくそれなりに幅もあり、教会の自室のベッドよりも余程上等に思えた。
ここで眠ってしまおうか。
その選択肢は、疲れ切った身体と意識には、酷く魅力的だった。
埃が積もった誰のとも知れないソファで眠るなど、普段の彼には考えられないことであったが、先程目の当たりにした虐殺と死の恐怖が、感覚を麻痺させていた。休んで魔法が使えるようになれば、早々に転移の魔法で街に帰るつもりではある。しかし今はとにかく眠りたかった。
小さな窓から入る薄い青の燐光が、舞っている埃を白く浮き上がらせる。
少し咳き込んだ。
それがおさまると同時に、意識からも力が抜ける。瞼に、眼に、その裏に、その奥に、すぅっと染み込むようにして、彼の意識は暗い場所へと溶けた。
ノイエ、と呼ぶ声が、落ちる前の意識をよぎった。
あれは空耳だったろうか。
違うと思った。
何の迷いもない殺戮とは対照的な、どことはなし頼りなげなその声が、やっと意識を手放せる今でも、何故だか耳について離れなかった。
超見切り発車で連載開始
のっけからもの凄い勢いで捏造くさくてすいません、すいませんorz
2005年10月09日 18:14
