逆転裁判
だからさよなら
やっぱり変ですよねと呟いたその言葉に何がと彼は返した、その表情でこちらの言葉の...
やっぱり変ですよねと呟いたその言葉に何がと彼は返した、その表情でこちらの言葉の意味を半ばほどはわかっているのだと法介は感じた。
自分は弁護士である。被告を助けるのが(それが冤罪でもそうではなくても)仕事である。冤罪ならば無論晴らさなくてはならないし、実際に罪を犯したのだとしてもやはりその罪を軽減すべく働かなくてはならない。
彼は検事である。犯罪者を証拠を添え裁きの場へ引っ張り出すのが仕事である。冤罪は起こしてはならないが罪はすべからく白日の下晒さなくてはならない。
つまりは、対極なのだ。
同じ被告の担当になることがある。法廷で相対するときは厳然と事実だけに向き合いその形を明らかにするのが自分たちの目的である。目的のはずだ。無論相手に対する私情など挟むわけにはいかない。挟むつもりもない。法廷を離れ仕事を離れれば自分たちは親しい間柄であるとしても、あの場に立つときだけはその事実は心から消える。
だが自分たちの仕事が互いに相反するものであることも事実である。そしてそれがただの事実の露呈だとしても、最後に出た結果如何で勝っただの負けただのと言われることもまた事実である。もしも相手の持つ情報を手に入れたならば有利に事を運ぶことができるのもその通りだ。だから癒着という言葉がある。自分たちに後ろ暗いところなど何一つ無くても人は痛くない腹を時に探り時にそこに無いものを見つけ引きずり出す。顔見知り以上の間柄として会う弁護士と検事を、人はどのように見るだろうか?
変ですよね。
そう言うだろう。
返答を返さない法介に響也は眉を顰める。確信が半分から全てに増した顔をする。
ねえだから、もうこうやって会わないほうがいいですよね。
当たり前のことを当たり前のように告げる声で法介は言った。まるで今日は冷えるから上着を着ないと風邪を引きますよとでも声をかけるような平静さで呟いた。
響也のマンションは広い。言葉は音になってすぐに跡形もなく消えてしまったのに、まるでその空間に染み通ったようだ。いつまでも声に出したという事実が残っている、そんな気がした。覆水盆に返らずとかこぼれたミルクを嘆いても無駄だとか、学生時代に頭に詰め込んだ慣用句が意味もなく頭をくるくると回る。
同時に目の前で響也が表情を曇らせていく。感じた半分が後悔だとかそんな顔をさせて申し訳ないという思いであるが、しかしもう半分が嬉しさというのに近い感情であることを、法介は否定しない。響也は自分と離れることを望まないからそんな顔をするのだと思うくらいは自惚れではないだろう。それが嬉しい。じくりと胸が痛む。
どうしてそんなこと言うんだい。
響也は努めて平静な声を出したが、かすかに震えているのがわかる。法廷で窮地に立たされてもけして見せない、それは動揺だろうか弱さだろうか。
自分たちにやましいところなど無くても人はそんなことおかまいなしなのだからという正論が部屋の空気を空虚に満たす。響也は手を伸ばしはっとして身を引こうとした法介の手首を掴んだ。手のひらのあたたかさが自分の皮膚を取り巻くのを感じる。だからどうなのだと、そんなもの湯に浸かったって同じことだと、頭の中で呟いてみる。それも空虚だ。
君は本当にそう思っているのか。言われて即答でそうだと返す。これも即座に響也が嘘だと差し戻す。嘘じゃない本当だと手を掴まれたまま口にした。嘘がわかるのは自分のほうだ自分が何を言ったってあなたにはわからないそれが本当か嘘かなんて誰にもわからない人には人の嘘を感じられる力なんて無いそうでしょう。口には出さない、くるくる頭の中で巡るだけの止めどない思考を響也はぷっつりとただの一言で切り捨てる。
じゃあなんでそんな顔をするんだと。
それで法介は頬をぽたりと落ちた涙に気付く。
自分も痛そうな苦しそうな顔をして響也は言う。笑って何でもない顔でどうでもいいことみたいにお前が嫌いになったからもう会いたくないんだと言えばいいそうでなきゃあそんな顔してもっともな台詞だけまことしやかに並べ立てたって信じない。息もつかずにまくしたてるその声は妙に静かだけれどやっぱり少し震えている。自分の手首を掴んだ手のひらも、少し震えている。ぽとりとまたひとつ、自分の頬から涙が落ちる。
正しいだけの意味の無い正論を無意味だと一番思っているのは自分だ。他の人間から何を言われようと知るものか。自分にやましいところも何一つなくただ自分が好きだと思う人間の側にいることを誰に否定されたところではいそうですかと大人しく従ってやる気など毛頭無い。だけれども同じ台詞を響也に言われたらどうだろう。きっとそれは耐え難い苦痛に違いない。
彼の口からそんな空っぽの別れの言葉を口に出されるのが恐ろしい。今は彼は笑う。自分を見て笑い何か話しては笑う。どうやら彼は自分を気に入ってくれているようだ。でも自分は本当に気に入られるだけの価値がある人間だろうか。そのうち自分のくだらなさに気付いて笑わなくなるのではないだろうか。それは今日だろうか明日だろうかずっと先だろうか。そんな日は来ないのだと自分には思えない。いつか来るその瞬間が日に日に恐ろしい。終わる日をいつとも知れず待つ針のむしろは耐え難い。
だからさよならと先に言ったのに。
怪しいとそしられ疑られるからでなくあなたからさよならと言われたくなくて自分で先に言ったのにそれでさえこんなにも痛い。
掴まれた手首はあたたかい。他にどんなに同じあたたかいものがあったって彼とは違う何故だかなんてわからないけれど確かに違う。自分の頭をえらいねと何度も撫でてくれた院長先生の手はこれよりもずっとずっとあたたかかったけど優しかったけれどこの手じゃない他の誰の手もこの人の手のひらにはなれない。
ねえおデコくん、ぼくがそんな理由で君を離すなんて思ったの。
真っ直ぐに法介を見詰めながらどこか自嘲めいてすら聞こえる声で響也は言う。それは本来自分たちが従わなければならない倫理ともいうべき正論を真っ向否定することに対する自戒だろうか。唇を歪めいつもの快活な笑顔も朗らかな声もどこかに消し飛んでもそこにいるのは確かに響也である。
ごめんなさいと法介は言った。見開いた目を涙が満たして視界がかすんだ。目の前の響也の輪郭もぼやけた。
そんな顔をさせてごめんなさい困らせてごめんなさい自分が怖いからとあなたを傷つけてごめんなさい、あなたが傷ついた顔をしたとき嬉しいと思ってしまってごめんなさい。
たくさんたくさん謝りたいことはあるのに言葉はただ、ごめんなさい、としか出てこず、代わりに涙ばかりがこぼれては落ちた。
薄暗さ満開
そろそろ素直にハッピーな話も書こうぜという声がどっかから聞こえてきますが気にしたら負け
2007年11月01日 07:17
