Crashers

あいのうた

Right here waiting

 昼過ぎから優士は本を読んでいた。その優士の背中を背もたれ代わりに、蘭は同じソファに寝そべっていた。何か用があるというのでも無い。会話も全く無い。しんと静かな部屋に、優士が本の頁を繰る音だけが、一定の間隔でもって響いた。
 座り心地の良いソファに座っているというのに、何故また人をクッション代わりにするのか。そんな無言の疑問が棘混じりに優士の背中から漂ってくる。が、そんな柔い棘に怯んで身体を起こすようなら、そもそも人を背もたれ代わりにするわけもない。蘭は、一向に退こうとはしなかった。
 一方優士はと言えば、ぶつくさと口の中で文句を呟くが、彼は彼で、本気で蘭をはね除けようとはしない。もしそうする気があるのなら、さっさと自分が別のソファに移ってしまえばいいだけの話だ。それをしないのは、要するに、実のところ彼もそのままでかまわないと思っているからだろう。
 冬に落ちていくはずの気温が今日は少し高い。窓から入ってくる陽で、部屋はあたたかかった。そしてそれ以上に、優士の背中があたたかい。何をするでも無くぼんやりとしている蘭は、何度も何度も欠伸を繰り返した。
 窓の方に目をやってはひとつ。背中合わせたその向こうで本を読み進む気配を感じてはひとつ。退屈なのではない。あたたかいのが、心地良かった。
 ゆうし。
 何となく、名前を呼んだ。
 特にこれといって理由があったわけではない。別段手持ち無沙汰というのでもない。強いて言えば、その名前を口に出してみたくなったからというのが、一番それらしく思えた。
 何だ。
 返ってきたのは短い一言だった。
 返事を期待してもいなかったし、当然のごとく用事も無い。もしも彼が何か返したならば、何でもないと言って、また部屋はさっきまでのように静かになり、紙がこすれる音と、後は時々自分の欠伸がかすかな声混じりに聞こえるだけだ。それで終わりのはずだった。
 それが。
「何か、歌ってよ」
 出てきたのは、優士の方にしてみれば、おそらくは一欠片の脈絡もない意味不明な要求だった。
「……はあ?」
 案の定、理解しかねると言った声音で優士は返した。振り向こうともしなかったのは、もたれた背中の動きでわかる。
 それでも、その声が。
 空気だけでなく、鼓膜だけでなく、自分の背中を伝うのが、何故といわれても理由はわからない、ただ心地良かった。
「………歌ってよ」
 相手は本を読んでいる最中なのだ。歌など歌う筈がない。わかっている。返答が返ってくるだけでまだ良い。仕事で手一杯の親に遊んでくれとせがむ子供のようだ。だが、それで相手が自分をどう見るかということ以上に、少しでもこの会話を続けたかった。ひとつでも多く、彼が何か言葉を口にするように。
「歌って、よ」
 少し間が空いた。呆れたのだろうか。それならそれで、お前は阿呆かとでも返してくれば良いと思ったそのとき。
「……俺は、お前の聞くような歌なんか全く知らんぞ」
 一瞬、耳を疑った。
 本気で要求しているわけでもないことなんて、すぐにわかったろうに。
 それこそ、自分が聞き間違えたか、そうでなければ相手も冗談で返しているのかとも思った。しかし、優士がこういう冗談を得手としているかと言えば、否である。彼は本当に歌うつもりなのだろう。
「何でも良いよ。アンタの知ってる歌で良い」
 言うと、一呼吸置いて、優士は歌い出した。伴奏も何もなく、ただ彼の声だけが歌になる。それで十分だ。ゆっくりとした柔らかい旋律が、優しい声で歌われるのは、話し声よりもずっと快かった。
 それは英語の歌だった。何となくどこかで耳にしたことがあるような気もしたが、はっきりと思い出せはしなかったし、勿論誰の歌かも、歌い手が男か女かも、童謡の類かポップスかさえもわからなかった。けれどただ声が聞きたいだけのときに、そんなことが問題になるだろうか。
 蘭は、優士が歌うのを聞いた。目を閉じて、声が背中を通し自分の身体を通り抜け流れていくような感覚をほんの僅かでも逃すまいとした。
 それは簡単な英語だったから、知りたいと思えば簡単に聞き取れたし、意味も理解できただろう。だが蘭は、優士の声だけを聞いて、言葉を聞かなかった。
 
 だから、蘭は知らない。
 
 何処へいっても 何をしていても
 待っているから帰っておいでと、優士が歌ったことを。
 
 
 そしてまた、ほんとうは、蘭が聞いている、ただそれだけの理由で、普段自分が聞いているような流行りの歌も、優士は覚えてしまっていたことも。

自分で書いておいて何ですが
これのタイトルを見るたびに脳内に
 
そして~たべ~られる~
 
と…(死んでいいよ

2004年11月14日 23:08

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