Crashers

嘘吐き

うそつきは どっち?

「塀を登って入ってくるのはいい加減やめろ」
 ちょうど石塀の天辺を飛び越えようとしていた蘭は、唐突に降ってわいた様なその言葉に、危うくバランスを崩して落ちるのをすんでのところで踏みとどまる。
「危ねえな!! いきなり声かけんなよ!」
 そうして身体を立て直し、塀のこちら側に着地するや否や、それはそれは大層な剣幕で食って掛かるのを、
「門から入ってくれば少々遅く帰ってきても誰も咎めんと何度も言っている」
 優士はあっさりと一蹴した。
 ただそれだけで蘭が言葉に詰まり、視線を地面に落とすのは、優士の言葉に対し、自分の反論に何ら正当性が無いことを知っているからだ。
「…こんなだだっ広い屋敷の周り、律儀に門まで回ってられるかよ」
 それでもふくれっ面で文句を言うのに、優士はため息で応えた。
「小さな子供にはともかく、お前には大した距離じゃないだろう」
 短気な奴だ、そう呟く優士の呆れた口調に、蘭はますますブスくれた。けれど、お前は人のことが言えるのかと、口の中だけでもごもご反論するだけで、何一つはっきりとした言葉にはしなかった。
 しばらく仏頂面で黙り込んでいた蘭は、ふと気づいたように、あるいは話題をどこかへ逸らすためか、一体どうしてこんな時間にこんなところにいるのかと優士に尋ねた。確かに今はもう深夜と言ってもいい時間に入りかけていて、そしてここは門から離れた庭の片隅で、優士でなくても特に何も用は無いだろうと思われるのだ。蘭が不思議がるのも無理は無かった。
「仕事をしていたら窓からお前の帰ってくるのが見えたからな。また塀を越えて入る気かと思って見に来たんだよ」
 そうしたら案の定だ。言いながらさらにもう一つため息をつく優士を睨み付けながら、蘭はコートの裾についた泥を払って立ち上がった。
 と、優士は蘭の顔を覗き込む。蘭が一瞬慌てたように見えたので、大方自分の陰口でも考えていたのだろう、そう優士は思った。嘘を貫ききれない迂闊な素直さが、優士は好きだった。
「…顔色が悪いぞ。風邪でも引いたんじゃないのか?」
 その言葉に、すぐに安堵した表情を見せたので、自分の予想は間違っていなかったのだなと、思わず苦笑しそうになるのを、優士は無表情に押し込める。笑えば、蘭は意味を取り違えて、また怒り出すのに違いない。何だよ人の顔見て笑うなよ失礼だな。口調まで想像できる。
「平気だよ、」
 言葉の最後が消えて、静かな庭に、押し殺したようなくしゃみが響いた。しまったというような表情も、つい一瞬前の言葉の信頼性の無さを強めた。蘭はついと優士の顔付近から視線を逸らした。それは、だから上着を着て行けと言ったのにとか、さっさと帰ってくればいいものをとか、そういう耳に痛い小言と、それ見たことかと言わんばかりの呆れた表情を予想したからか。
 けれど優士は、蘭の思い浮かべたような言葉を一つも口にしなかった。
「…お前は」
 その代わりの、
「嘘吐きだな」
 責める意図を感じさせない声色が、夜の空気に消えた。ふわりと蘭の首にかけられたマフラーは、それまで優士の首周りにあったもので、体温と同じくらいのぬくもりが残っている。それから優士は、さあ家に戻るぞと離れる代わりに、蘭の肩の上に腕を伸ばし、後ろで髪を梳くように指先を組み合わせた。蘭は目を見開き、口をぽかんと開けた。
 その面食らった様子を、優士は笑った。笑って、半歩だけ歩み寄って、額に唇を寄せた。
 優士の唇の薄い皮膚に触れた額は、いつもより少し熱い。
「無理をするなよ。…さほど、丈夫でも無い癖に」
 蘭が短く息を飲み込んだのが手のひらと唇から伝わる。
「あまり心配させるな」
 ただ同じことを言っただけなら、あるいは責める口調で叱ったのなら、蘭は散々に悪態をついて反論しただろう。だが今は、ほんの僅かに頷くだけで、黙って瞼を開いては閉じる。それが愛おしかった。
 結局、嘘を吐いているのはどちらかというと、自分のほうなのだと優士は思う。
 たとえば、さっき、確かに仕事はしていたけれど、外を気にしてカーテンに隙間を開けていたことは言ってない。何度も何度もそちらに目をやった。だから帰ってきたのに気が付いた。
 そんな他愛もない照れ隠しで終わらない嘘だってたくさんたくさん吐いている。嘘で固めた自分がいることを知っている。
 そうでなければこんな境遇で生きていけない。きっと許される正当化だ。
 納得してしまえたらきっと楽になれる、言い訳だ。
 
 嘘吐き。
 蘭に放った声が、頭の中で何重にも響く。
 今彼に向けた気遣う言葉は本当かと、そう問いかけるように、繰り返し響く。
 本当だと答える声はどこかに消えてしまうのは、本当でないことを言うのに慣れ過ぎたせいなのだろうか。本当のことを言っているはずなのに嘘を吐いているように、思えてしまう一瞬がある。
 
 嘘吐き。
 そう言われたとき、蘭が、お前はどうなんだと返してきたことは、一度も無い。
 優士はそれが、少し心苦しい。
 多分お前は、俺を馬鹿正直な人間だと、思っているんだろうな。優士は蘭に見えない場所で自嘲気味に笑う。
 たった一歩で良い。付き合いで浮かべる愛想笑いやお世辞を、同意し従う言葉に変えたなら、優士だって早晩裁かれる側に回るのだ。
 それを知ったら蘭はどうするだろう? 探しても優士の中に答えは見つからない。
 
「…好きだよ」
 
 優士の薄く小さな声が、口づけたままの蘭の額と暗い夜に溶けて消えていく。
 蘭は固まったように動かなかった。
 強く抱き締めているわけではないから、鬱陶しいなら振り払えばいい。それでさっさと部屋に戻ってしまえば仕舞いだ。蘭がそうしないことに、優士は少しの希望を持つ。
 吐いた息が白く煙っていく。そんなふうに、人が口にした言葉や、そこに込められた真意を、目で見ることが出来たらいいのに。ただ組み合わされただけだった優士の指に、かすかに力がこもった。
 祈るように、彼は考える。
 
 本当は、お前なんかよりも、ずっとずっと 嘘を吐いている。平気だと言わなければ立ち上がれなかった。境遇を恨んでないなんて嘘だ。復讐を一度も考えなかったわけじゃない。無難に笑えなければ自分や妹を守れなかった。最初は意識してそうしていたはずなのにいつの間にか何も考えなくても出来るようになった。
 もう自分でも何が嘘で何が本当なのかわからなくなってくるよ。
 だからこの口から出る言葉の、真贋はお前が決めてくれればいい。
 本当だと言ってくれるなら受け取って欲しい。
 嘘だと思うならそれでもいい。
 
 けれど優士は、その一方で、なお思うのだ。
 
 
 自分の心から、今、余計な言葉を、嘘の入り込む隙間を、全部無くしたら
 ――きっとお前しか残らない。

2003年初春? 初出
 
だいぶ修正して再公開であります
昔の文章は今見ると以下略……_ノフ○

2008年11月20日 12:40

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