Crashers

花の降る

考えるのを止めても もう遅い

 そろそろ夕陽になりかけの、黄色みを増した光が足下に届く中を、優士は歩いていた。
 勝手を知り尽くした自家の庭といえど、この広さでは人一人捜すのは骨である。しかも彼があたりを付けた場所はことごとく外れだった。もう少しで庭をぐるり一周だ。はぁ、とため息一つついたところで、視線の先に、濃色のスニーカーを履いた足が飛び込んできた。
 この家には、庭で寝転がるような人間は、彼の探している相手をおいて他に居ない。ああやっと見つけた。優士は消えたばかりのため息をさらにもう一つ上書きした。土の上にひょろりと投げ出された洗いざらしのジーンズは、緑がかった藍色だ。ジーンズとしては一風変わったその色合いを、濃く鮮やかな橙のスニーカーとの合わせまで含め、奴の持ち物にしては珍しく美しいと、優士は思った。
 もう秋も深まった。夕方の日が陰る頃に庭でうたた寝なぞしていては風邪を引くだろう。この馬鹿者がと肩を竦め、優士はゆっくりと蘭の方に歩いていった。だからといって心配して探しに来た訳ではないのだと声に出さず言い訳をしながら。昼から延々と探していたのは用があったからだ。その用というのは、散らかした雑誌を片付けろとか任務の(ただし一月以上先の)概要に目を通したのかといった、傍目のみならずおそらくは彼自身にとっても、至極どうでもいい小言ではあったが。
 甘い香りが漂っている。歩を進めるごと、次第に咽せるほどに強くなる。勿論彼は自分の家の庭に何が植わっているかを熟知していたので、その香りが何であるか判っていた。
 つるりとしていながらどこかくすんだ緑の葉が茂る枝のそこかしこに、細かな橙の花が咲いている。一目でそれを金木犀だと気付く人間は少ないかもしれない。背が高すぎるからだ。実際はこの樹木は常緑の高木で、放っておけばどんどんと伸びていくのだが、普通の家に庭木として植えられていて、こうまで丈の高いものはそうはない。せいぜいが軒先程度で、二階のの屋根すら越えようかというほど伸びた大木は、おいそれと見かけるものではない。蘭が転がっているのは、その金木犀の根元だった。
 一杯に張り出した枝の重なりが、草むらに転がる蘭の鼻先に影を落とす。葉の隙間からこぼれてくる光が、薄暗さに所々穴を開けていた。長めの前髪は額から滑り落ちていて、目を閉じているのがはっきりと見えた。
 優士はひたりと足を止めた。立ち竦んだ、といった方が正しいのかもしれない。
 蘭は小さな橙の花に埋もれるようにして、眠っていた。
 金木犀の花は脆い。少し揺らせばすぐ落ちる。もうそろそろ盛りを過ぎているのでなおのこと、弱い風でも一気に散る。そうやって橙の花が、昼から今までの間、横たわる蘭とその周りに、積もったのだろう。
 つめたいてのひらでゆるりと背を撫でられた気がした。ぞくりと身体を震わせた瞬間に、敷石に貼り付いたようだった靴底が剥がれた。そのまま優士は蘭の傍まで大股で歩み寄って、蹴り起こす勢いでさっさと起きろと怒鳴りつけた。それくらいの剣幕でなければ結局声に出すことはできそうになかったからだが、そのことを彼は自覚していただろうか。
 横たわる蘭の、薄い瞼を縁取る睫毛の一本一本が、日焼けしていない白い皮膚に細い影を作っている。それがかすかに震えて、眉の間にぎゅっと皺が寄った。ややあって五月蠅そうに顔をしかめ、蘭は目を開けた。
 半身を起こすと、積もっていた小さな花がぱらぱらと落ちていく。蘭は、残る眠気を振り払うように頭を二度三度と揺らし、それからじろりと優士を睨み付け、何だよ、と、鬱陶しそうに息を吐いた。やはり冷えたのか少々顔色が悪い。
 こんなところで寝ているんじゃないと、優士は言った。一転して呆然と独り言のように呟く様に、蘭は怪訝な顔で首を傾げた。
 じっと自分を見る蘭の視界から外れようと、あるいは自分の視界から蘭を退けようとするかのごとく、優士は踵を返し、自分の来た道を帰り始めた。蘭は一呼吸ほど呆気に取られたが、慌てて立ち上がり、自分に纏い付いた金木犀の花を払いのけるのももどかしく、優士の背中を追いかけ手を伸ばした。アンタ俺に用があったから叩き起こしたんじゃないのかよと、苛立ちより戸惑いを滲ませて、蘭は優士の肩を引いて振り向かせようとした。その拍子に蘭の指が優士の頬に触れた。骨張った細身の指を冷たいと、優士は思った。
 彼は、蘭の手を思い切り掴んで引き寄せた。黙って、振り向きもせず、そのまま蘭を引っ張って早足に歩く。蘭はつんのめったが辛うじて踏みとどまった。手を引いてというには乱暴に過ぎるその行為は、自分ならともかく優士はまずやりそうにないことなのに。釈然としないまま、痛ぇなとぼやいて、しかし痛いほど掴む優士の手を、蘭は、振り解こうとはしなかった。
 優士の靴音は規則正しく響き、それを追いかけるように鳴る蘭のそれは時々突っかかった。蘭の手を掴んで離さない優士は、そのくせ頑として後を振り返らない。
 優士の手の中で、冷たかった蘭の指先が、ゆっくりとあたたまってゆく。そのことに、優士は、酷く、安堵する。どうして? 自問がくるりと、心の奥で一回りする。
 横たえられた身体が花で埋まる様が優士に想起させるのは、たったひとつ。
 
 父の、母の、最後の――
 
 ぞわ、と、また身体が震える。手を伝って蘭に届かなかったろうか。それが優士は心配だ。
 自分たちはとても死に近いところにいる。
 金木犀のような、およそ手向けには似つかわしくない花にも、脳裏に描いた葬列の記憶を重ねてしまう。くだらない思いつきに過ぎないのに、馬鹿なと笑い飛ばし切れない。
 では、何故、そうやって、この生意気な、人の言うことなど聞こうともしないろくでなしに、死を見たからといって、だからといって、こんなにも、こんなにも、こんなにも。
 家族ならわかる。太陽を失えば自分はもう正気ではいられないだろう。鈴木もそうだ。家族同然のあの老執事にもしものことがあればと考えるだけで怖ろしい。仲間も。仲間を亡くすことに耐えられるほど自分が強いと彼は思わない。将人に、黎一や、あの成でさえ。だがしかし、勝手気儘に振る舞うこの馬鹿者は仲間とも言えない代物だ、そうだろう? 優士は自分に言い聞かせる。
 彼は自分で意識できる程度には冷淡だった。仲間以外の人間を切り捨てたとき多分心は痛むだろうがそれだけだ。あれは仕方のないことだったのだといつかは納得してしまえる。そして彼の基準では蘭はけして仲間ではあり得なかった。だから蘭は、彼にとって、見捨ててしまえる人間の部類に属しているはずだった。
 それなのに握りしめた手が冷たくなくなってゆくことにどうしようもなく安堵する。
 泣きたくなる。
 朱く燃え始めた冷たい空に不揃いな足音が吸い込まれていく。滑り落ちていく大きな丸い陽の橙よりも強く目に焼き付いているのは、蘭のスニーカーの派手な布地だ。それを初めて見たとき下品だと感じたことを優士ははっきりと思い出した。
 手入れされた草花が風に煽られて擦れ合い音を立てた。いつもなら目に快いだけの花々は気に障って仕方なく、そうやって張り詰めていく意識が、手の中のぬくもりと背後の困惑した気配で緩む。
 
 何故?
 
 考えることを、彼は止める。
 ――考えずとも、早晩自覚するだろうと、知りながら。
 
 響いては消えていく足音に追い立てられる心持ちで優士は歩いた。甘い香りが遠ざかっていく。金木犀があったのは広い庭の隅の方だ。彼らの居室がある建物はまだ遙か向こうに見える。馬鹿みたいに広い庭だと蘭は小さな声で軽口を叩いた。蘭を引き摺って歩く優士は、庭のその広さに、ただ、感謝する。その距離を歩いていく間に少しでも落ち着けそうな気がするから。あるいは、それだけ長く、この手を繋いでいられるから。
 いっそ今、蘭が、いつもそうするように自分の手を振り払ってくれたならと、一瞬だけ、そんな考えが優士の心を過ぎった。

えーと二年ぶりですか
ありえなく久々に優蘭更新
久し過ぎて笑える上にこのどうしようもないくっついてなさは一体
 
ていうか クラッシャーズ 知ってる人 まだいるんすかね……?

2008年11月09日 01:30

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