Crashers

君を呼ぶ

夏の日の夕暮れに

 夕立の後の空は、つい先ほどまでのとんでもない雨など無かったことのように綺麗に晴れた。たなびく雲が、夕映えの濃淡を映して鈍く玉虫色に光っていた。
「凄かったな」
「ああ」
 歩きながら交わす会話に紛れて、かすかに水の音がする。
 髪も服も肌に張り付いて、歩くたびに雫がぽたぽたと落ち、真っ黒に濡れたアスファルトの水溜りの仲間入りをした。
「いつもながら当らない天気予報だ」
 半ば諦め顔で、優士はため息をついた。
「こんなずぶ濡れになったの、久しぶり」
 蘭が水を含んで重い自分のシャツをつまんで笑う。
 唐突な夕立は酷く激しかった。ほんの短い間の雨で、この有様だ。店のひさしの下ででも雨宿りをすればよいものを、このまま歩こうと言い張ったのは蘭だった。
『いっそその方が、すがすがしくない?』
 そんなことを言ってはいたが、ただ濡れてみたかっただけに違いない。道中ずっと暑さに文句を連ねていた。水を見るなり入りたがる子供と変わらない。どうせもうしばらく歩けば家に着く、まあかまわないかと許した自分は多分彼に甘い。他の人間が言ったなら、たとえ先に行ってしまおうと無視してどこかの店にでも入り、夕立が止むのを待った。
 甘い、というのではないかもしれない。勝てない、のだ。
 道端の街路樹も、葉に水滴をまとわせて光る。夕焼けがうつる小さなまるい水玉は、縁日やらで見かける硝子玉の指輪を思い出させた。
 鮮やかな赤、オレンジに、向日葵のような黄色、日中の名残残す蒼、空の端のほうには、夜空に傾いていく紺色。まだ明るい東の空には、一番星と共にもう月が見える。
 まだ、雨のにおいがしていた。
「なぁ優士。綺麗だったよな」
 唐突なその言葉は、今日見てきたばかりの映画のラストシーンを指しているのだろうと優士は思った。夏の強い蒼空を背に、咲き誇る白い花と緑の葉、空をかける虹の鮮やかさが印象に残っていた。
「ああ。綺麗だった」
 笑うと、様子見に振り返った蘭は満足そうに頷く。
「虹って綺麗」
 唐突に途切れた中途半端な抑揚と、ぽかんと開いた口を見て、何事かと優士は後ろを向いた。
 虹があった。
 雨上がりの夕焼け空で名残惜しげに端から薄れていく藍を、細い細いかすかな虹が、飛行機雲のように横切っていた。
「雨降ったから、もしかしてって思ってたけど、まさかなぁ…」
 蘭が虹に手を伸ばした。
 その手がまるで届いてしまいそうに視界が歪むのは錯覚だとわかっている。それでも咄嗟にその身体を抱き寄せた。そして自分の手が蘭の肩に届いたことに、優士は安堵した。
「優士?」
 人気のない、街路樹の並ぶ帰り道は、たまに遠くから水をはね飛ばして走る自動車の音が聞こえてくる以外、酷く静かだった。
 だから余計なことを考えるのだろうか。きっと違う。
 人は物事を簡単に忘れる。そのように出来ている。それでも。
 濡れた服の不快も、それを通して伝わる体温も。
「どうしたんだよ、いきなり」
 突然のことに驚き、少し高い調子で返す声も。
 虹に喜ぶ笑い顔も。
 自分はその全てを忘れられない。
「優士?」
 置いて行くことをもう決めているだろうに、そのくせ自分をどこか暢気に呼ぶのが、無性に苛立たしく、それ以上にいとおしかった。惚れた弱みとはよく言ったものだ。どうしても、愛しさの方が先に立つ。
 多分自分は、命が終わる日まで彼の声を心に抱いていくのだろう。
 忘れてしまえたなら楽だという確信と共に。
「…蘭」
 それならば彼にも、この声が、刺さって抜けずに残ればいいのに。
 諦めに近い切望でもって呼んだ名前は、静かな道に消えていくばかりで、彼の耳には届いていないような気さえした。

どうやったらあのCDからこの妄想が引っ張り出せるんでしょうか私は(それを言ったらおしまいです

2002年09月22日 23:29

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