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「beloved/hated」 序章
Hello, Hello, ripper sorrow.
目覚めは、あまりにも出し抜けだった。
彼は闇の真ん中で目を開けた。それと同時に意識というものも働き始めた。だが周りの闇が一体何なのかはわからなかった。
いや、それどころではない。彼は何もわからなかった。
ここはどこだろう? 自分はどうしてこんなところにいるのだろう? どうしてこんなところで眠っていたのだろう? 本当に眠っていたのだろうか? 何かあって意識を失っていたのではないのか? ああ、そういえば、ここに来る前に自分はどこに居たのだった? ――そもそも、自分は何者だろう?
それらの、わかっていて当然のことが、空気がそこにあるのと同じくらいに当たり前のことが、何一つ、彼にはわからなかった。
闇は濃い。だが、それは何の拠り所にもならない濃さだ。身体を預ければ預けた分だけ、飲み込まれていく深泥だ。
彼は、くるり辺りを見回した。
墓が見えた。崩れかけの墓石が、白々と闇に浮いていた。
後ろ側に頭を向けた。
派手に破れ朽ちかけた黒いコートがあった。傍には、乾き砕けた白い欠片が折り重なり、ぼんやりと浮かび上がっていた。
風でもあれば、その危うい小山は、いとも簡単に崩れ落ち、からりと音を立てそうだった。だが生憎空気は僅かにも動かない。時間が動いてないのではないかと思えるほどに、ここでは何も聞こえなかったし、何も動かなかった。
最後に彼は自分の身体を見下ろした。黒くて裾の長い服を着ている。いや、着込んでいるといったほうが正しいか。窮屈一歩手前のきっちりとした意匠の服だ。合わせの留め金を、上から下まで止めている様は、よく言えば真面目、悪く言えば堅苦しい。
厳めしい作りとは裏腹に、丈は余っていた。幅も余っていた。誂えたような上等の服なのに、何故身の丈に合わせていないのか、それもわからない。
両の手のひらを目の高さに掲げてみた。欠けた墓石に負けず白かった。細く弱々しく頼りなく見えた。力はなさそうだ。武器を――剣や槍といった、重量級の獲物を振り回すことなど叶わなそうな、痩せた手首が、ずり落ちたぶかぶかの袖から覗いている。
ああどうしよう。どうしよう? どこへいこう? なにをしよう? なにもおもいうかばない。なにもわからない。どうしよう。どうしよう?
真っさらな意識を持て余しながら、荒涼の真ん中にぺたりと腰を下ろしたまま、彼は、ただ途方に暮れた。
そのとき視界の遙か彼方に現れた人影のようなものに気づかなければ、彼はいつまでたってもそこにいたかもしれない。そうして誰かが彼を見つけたかもしれないし、誰も見つけなかったかもしれない。何も、何も見つからなかったかもしれない。
だが、今このとき、彼は自分の視線の先に、人の形をした影を見つけたのだ。そしてそこへ行ってみようと思い立った。自分が何者かなんて相手は知らないだろう。しかし、何もわからない自分が何をすべきかを、教えてくれるかもしれない。そんな薄淡い期待を覚えたからだ。
ゆっくりと彼は歩いていった。人影の背中は段々と大きくなっていった。
男のようだった。細身だが、しっかりとした骨格と無駄なく鍛えた筋肉が身体を作っている。布でできた貫頭衣と肩掛けの下に鎖帷子を着込み、腰には二本の剣を帯いているところからして、戦闘を生業とする者なのだろう。
後ろ姿からなので顔立ちはわからない。ただ、金髪なのは見て取れた。暗闇の中でも美しい短めの金髪だ。
近づくにつれ、あれは少年ではないかという思いが強さを増した。背丈はさほど高くなく、鍛えられていながらも身体の線はどこか柔らかい。大人の男の、筋肉の存在が無遠慮に剥き出しになった直線的な骨格や輪郭とは違う。それはどんなに鍛え上げ剣に慣れたとしてもやはり存在する、大人と子供との境目だ。
何かを探しているようだ、と感じられた。ひたとどこか一点に視線を向けているらしい。頭を微塵も動かさず、すっくりと闇に映えて立つ姿からは、探す、という、迷いにも似た姿勢は、露も見て取れない。それなのに何故そう思えたのかは、わからなかった。
彼は、少年に声をかけた。
次の瞬間、振り向きざまに向けられたのは剣だった。誰何の言葉のひとつもなく、流れるような動作で引き抜かれた長剣の切っ先が、彼の鼻先で止まっていた。
牽制といえる勢いではなかった。間違いなく、明白な殺意が、そこには込められていた。それならば、どうして鋭く冷ややかに燦めく切っ先は、文字通り目と鼻の先に来てまで、止まってしまったのだろう?
今にも睫毛に触れそうなほど近く、ひたりと自分に定められた切っ先を前に、彼はただ、目を見開き、呆然と立ち尽くした。さっき墓に囲まれて座り込んでいたときと同じ表情を浮かべていた。何もわからず、途方に暮れた、頼りなげな、そんな顔をしていた。
剣を振り向けた少年もまた、よく似た表情をその面に張り付けていた。顔立ちもやはり大人というにはまだ幼い。振り返った瞬間には、切っ先に込められた殺意と同等の険しさを、眦と唇に滲ませていたが、それでも造形に残る幼さがその剣呑をかすかに鈍らせていた。ましてや今の、瞼を一杯に開いた、当惑も顕わな様子は、年若さを際立たせるばかりだった。
二人、どれくらい、突っ立っていただろうか。
少年は剣を下ろした。抜いたときよりはゆっくりと、どこかためらいがちに、切っ先は地面を向いた。その軌跡は円弧に近い形を描き、闇を映す視界にほんの一瞬、さざめくような残像を残した。
目の高さが同じくらいだった。少年の瞼に張り詰めた緊張が、わずかに緩むのが見えた。
――どうしてこんなところにいる?
少年は、低く抑えた声で短く言い放った。抑揚のない、小さな声だった。しかし静かなこの闇では、暴力的なまでにはっきりと響く。
その問いに、彼は、わからないと答えた。そうとしか答えようがなかった。だって本当にわからないのだ。何も、何一つ。
目が覚めたらここにいたけれどなんにもわからない。どうしてここにいたのかも自分がいったいなんなのかもわからない。どうすればいい? どこにいけばいい?細く白い手を胸の真ん中で握り合わせ、彼はそう訴えてみた。
少年はほんの少し首を傾げた。そこにあるのは迷いか、当惑か、逡巡か。浮かべた表情を名状し難いのは、少年がそこに感情をかすかにしか覗かせていないからだ。どうとも取れる。迷いと言われればそれは迷いだし、逡巡と言われればそうとも思える。
しんとして静かだった。小石が転がる音さえ聞こえなかった。ただ、息をするのに合わせて少年の胸が上下し、その瞼が時折閉じては開いたから、時間は止まってはいないのだとわかった。
呼吸何度分くらいの時間が経っただろう。
少年は剣の柄を掴んでいない方の手を差し出した。おいでと、言ったように思った。本当に言ったのかもしれないが、差し出された手を食い入るように見詰めていた彼には、声が聞こえたのか聞こえていないのかよくわからなかった。
革手袋をはめた手のひらを前に、しばらく彼は躊躇うばかりだったが、促すように少年の指先が緩く曲げられて、ようやく彼は、握り合わせた手を解き、細い指で恐る恐る少年の手に触れた。
少年は彼の手を引いて歩き出した。どこへ行くとも何をするとも言わない。弱くはなくさりとて強くもない、振り払うのも容易い微妙な力加減で彼の手を握りしめ、黙って少年は歩いた。
彼は大人しく後に付き従った。少年の行く先ではなく、その後ろ姿から目を離さずに歩いた。余計なもののついていない、細身だがかっちりとした輪郭の項に、淡い金髪の裾が被っている。肩掛けの刺繍に使われた藍と赤の色糸が美しく、それが色の薄い金髪によく似合いで一層見栄え良かった。
知っているように思われた。
その背中を知っているのだと、感じた。
何故、そんな気分になったのだろう? 前にもその背中を見たことがあったと。だが知っているという前提で、もっとはっきりとした記憶を引っ張り出そうとしても、曖昧模糊として始末にゆかない。
手を引かれるままに歩きながら考えていると、やはり違うのではとも思えてくる。自分の記憶の奥にあるよく似た背中はもう少し小さかった気がする。もう少し細かった気がする。こんなふうに、しっかりとした足取りで歩いてはいなかった、気がする。
何もかもよくわからなかった。
一歩前を歩いてゆく少年の、体温も何もわからない、革手袋をはめた手だけが、確かだった。
特攻野ROでの新刊予定のDOP本「beloved/hated」の序章公開
例によってまだ完成してませんが何か 何か?_| ̄|.......((○
もちろん自分を追い込む意味合いを込めています もう後には引けないという
ちょっと変わり種かもしれない話
そしてうちの鬱ラインナップの中でも結構なワーストですので
お嫌いな方は手に取られませぬよう…!
ってこんなところで言ってもしゃあないっちゃしゃあないですが(n゚ω゚`)
当日注意書きでも貼っておくべきですかね
April 30, 2008
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