逆転裁判

悼み

 怒ろうとしたのだということはわかった。  だがその勢いはほんの一瞬で、彼はすぐ...

 
 

 怒ろうとしたのだということはわかった。
 だがその勢いはほんの一瞬で、彼はすぐに唇を閉じ(あるいは、噛み?)かすかに視線を落とし、二度、三度ほど言葉を口にしようとしてそれも結局かなわないまま、黙って部屋を出て行った。大して分厚くもない扉の閉まる音が、やけに大きく重苦しく響く。
「――何をやったんだね、一体」
 御剣は、呆れ半分、不思議半分、半ば独り言のように呟いた。視線の先には真宵が居た。彼女の中にも成歩堂と同じように、何かが行き場を見つけあぐねて何処にも出てゆけずにいるのが何となく見て取れた。
 悪ふざけなどは、日常だ。それを全く本気に聞こえない様で怒るのも、反省なんてあったものではなくあっけらかんと笑うのもまた、日常だ。しかし今のこの雰囲気は、紛れなく非日常である。
 そう滅多なことでは、成歩堂はああいう怒り方はするまいに。御剣はため息をついた。彼は来たばかりであり、自分が扉を開ける直前に一体真宵が何をしでかしたのか知らず、従って成歩堂が部屋を出て行きたくなる(つまりは、一人になりたいか、あるいは真宵と距離を取りたいか、そのどちらかだろう)理由も思い当たらず、とりあえずは上着を脱ぎソファに腰掛けた。
 しばらく真宵は黙っていた。成歩堂もそうだが、彼女はお世辞にも物静かであるとは言い難い。その彼女が、微動だにせず突っ立って押し黙っているのは、もっと静かにしないかと普段から小言に精を出す御剣ですら、どうにも居心地が悪かった。
 ややあって、真宵が口を開く。一瞬御剣が、それは自分の問いに対する答えなのか、それとも何か別のことを話し始めたのか判断に困る程度には間が空き、なおかつ唐突であった。
 お姉ちゃんの真似をしたの。
 ぽつり呟く彼女の声は、やはり静かだった。
 会いたいの。色々な話をしたいの。でもお姉ちゃんは居ないから。私の中に来てくれることはあっても、私は会えないから。ねえ私、他人よりは、お姉ちゃんと声似てるでしょう? お姉ちゃんみたいに喋ってみたら、何となく、お姉ちゃんが居るような気分になれないかなって、思ったの。
 淡々と言って、真宵はかすかに笑う。楽しいから笑うのではない。可笑しいからでもないし、嬉しいからでもない。どうしようもなく空虚なときにも人は笑う。流す涙すら見つけられないほど空っぽなのだと言わんばかりに乾いた笑いがこぼれる。それを御剣も知っている。一瞬、父親の顔を彼は思い出した。そういうときに思い出すのは決まって笑っているところ、それも写真に写っているような酷く出来の良い笑顔で、その笑顔の人がもう自分の手の届かないところへ逝ってしまったことを余計明確に突きつけられるような気がした。
 怒らせちゃったね。
 言って、真宵も御剣の向かいに座った。検事、折角来たのにごめんね。いつ帰ってくるかなあ。どこか呆けた視線をドアの方にやる真宵に、気にすることはない、と御剣は返した。此処に彼が居ようが居まいが、どちらにせよ私が待たされるのは変わらんのだからな。全く奴は仕事が遅い。この程度は誤差だよ。云々。成歩堂が聞いていれば憮然として明後日を向いてしまいそうなことをつらつらと真顔で言ってやると、ほんの少しだけ真宵はちゃんと笑った。
 かたかたと、風が窓枠を揺らした。
 じりじり忍び寄る冷たさは、冬の冷気か。それとも。
 
 喪失というものを知っている。あれは出来事ではなく状態だ。喪う瞬間は派手に痛い。突然の激痛に驚き惑い、わけもわからず、大切なものが手の中から無くなってしまったことに気付く。それはとてもわかりやすい傷で、わかりやすい痛みだ。だが、無くしたまま過ごす日々もまた、劣らず痛むことに、傍観者は存外気付けない。
 軋むのだ。事あるごとに。居ないと。何処にも居ないと。これまでを過ごしてきたようにこれからも過ごしていけると根拠もなく信じていたものが。そして自分に出来た傷と足が竦むような痛みをその都度思い出す。時は何も癒さない。ただ傷が其処に在ることを忘れさせるだけで。
 
 御剣は笑った。彼は痛みを忘れることに慣れたので、巧く笑えるようになった。自嘲を穏やかな作り笑いに変えられることも知った。
 
 どのように痛むかを知っている。どれくらい痛むかを知っている。
 愛するものを喪うことが、どういうことかを知っている。
 だから。
 彼が喪ったものは、大切なものだとわかるのだ。
  
 痛みを知れば人の悲しみに優しくなれると言ったのは誰だろう。それは本当は痛みなど知らない人間ではないだろうか。あるいは喪ったもの以外に大切な何かを持たないか。その大切な人間が誰かを失い嘆く深さを目の当たりにして死者を羨まずにいられるのか。ああ本当はわかっている、わかっているとも、悼む痛みを慮るよりも先にもう居なくなってしまった誰かを羨み妬む自分の心根がろくでもないのだよ。
 
 膝に載せた上着を手持ち無沙汰に握り締める。厚い布地に指が食い込み深く深く皺が寄った。
 
 ふざけるのは止せと怒れなかったのは彼が真宵に自分の中に在るのと同じ痛みを見て取ったからだ。さりとて表向きだけでも軽く流してしまえないのは、かすかな面影を物真似の中に見て取って平静で居られるほど彼の中で軽いものではないためで。
 法廷で綺麗な化粧とは裏腹に凛と厳しい眼差しで前を見据えるあの潔さを思う。自分ですらも、どこか憧れた。それが師であったのだ、成歩堂の記憶の中に残る彼女は、どんなにか輝かしいままだろう。
 死者は美しい。
 彼らはそれ以上自らの暗く汚れた場所を見せることがない。記憶の中で少しずつ少しずつ洗われ綺麗になっていく。比べて、目の前で歪んだ部分を露呈していく自分の、何と滑稽なことか。
 
 考えていることとは全く関係のない雑談を真宵と交わしながら、御剣は、笑った。
 そして。
 
 もしも、自分が死ねば
 それは君の中で深手になるだろうか
 それとも取るに足りないかすり傷だろうか。
 
 そんな自分の思考に半ば絶望を覚えながら、どこかで煙草でも吸っているのだろう背中を、思った。

 
 
 
 
 
 
 

今年頭に友人の誕生日に一冊だけ作った本に載せたss2本のうちの片方だけ掲載
普段から少部数だからと意味がわからないくらい装丁に凝ったコピー本を作るのが常ですが
このときは正真正銘1冊だったので表紙の紙をタイトルの形にデザインカッターで切り抜くとかいう
量産不可能な装丁にしました(阿呆かと
案の定一枚目は切り損じてやり直したのでどう考えてもイベント用では無理ですね!(゚∀゚)
多分中身を新しく2本書くのに使った時間よりも本の装丁決めて作る方が
長くかかってたと思います(だから阿呆かと
 
そのときはこれが逆転裁判で作る最後かなと思ってましたが
人生わからないものですね(遠い目
 
しかし4では御剣はほんとどこいっちゃったんでしょうか

 
November 1, 2007
 
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