逆転裁判

消されることば消えない想い

 からん、と乾いて鈍い金属音が店内に響く。人のいない閉店前のフロアはがらんとして...

 
 

 からん、と乾いて鈍い金属音が店内に響く。人のいない閉店前のフロアはがらんとして、空調が効いて暖かくとも目には寒々しかった。
 隅にたたずむ古ぼけたピアノから流れてくるのは下手糞な、とは言い過ぎかもしれないが、およそこうして店で人に聴かせるものとは思えないような旋律だ。時につっかえ、時に間違え、隣の鍵盤を一緒に叩くなど当たり前の、つたない音楽。だがこれでも、当初に比べればマシになったものだと思う。楽器というのは子供の頃から始めないと中々上達などしないものである。指がどうしたって動かない。それをよくまあ、数年まで楽器などせいぜい小学校の時のピアニカやらリコーダーくらいしか縁の無かったこの男が、ここまで弾くようになったと、御剣は素直に感心した。
 成歩堂。
 低い穏やかな声に、ピアノの旋律が止まる。やあいらっしゃいと、そうやって自分に返される声は昔のままなのに。いやそれとも昔のままだと思いたいだけなのか。揺るぎもしない正義として真っ直ぐに立っていた彼のままだと。
 コートも脱がず荷物も置かず席になど目もくれずにピアノの側に突っ立っている御剣に、成歩堂はピアノの譜面から目を離さないまま笑った。座ればいいのに。どこでも席は空いてるよ。促されても御剣は動かない。しんとした空気が少しの間流れた後、御剣は小さな声で呟いた。一勝負しないか。小さな声で十分だった。誰も居ない閉店間際の店に、彼の声を遮る物は何もなかった。そこで初めて成歩堂は顔を上げ、御剣を見た。
 いいよ。
 笑った唇と笑ってない目を見ながら、御剣は頬の筋肉を皮膚の内側でかすかに強張らせる。こういう笑い方などしない人間だった。むしろこうやって底意地の悪い笑みを浮かべるのは自分の方だった。その度に彼は、ほら目が笑ってないよと苦笑いを浮かべたのだった。
 ピアノのすぐ側の席に移った彼は懐からカードの束を出し器用に捌いて場に配る。素早い指の動きを御剣はまるで知らない物を見るように眺める。見慣れた指だった。その指が笑い声とともに自分に差し出してくるものはいつもあたたかい何かだった。今放り投げられる冷たく硬質なカードとは似ても似つかないものだった。
 賭けないかと、言った御剣を、成歩堂は見ない。検事ともあろうものが賭け事なんてしてていいのかい。曖昧に止める。ここでは賭けポーカーはやっていないんだよと、そんな否定を期待したわけではないけれど。それでも焦燥に似た痛みを感じる。店は静かで誰も居ない。金を賭けるわけじゃない、誰にも文句は言わさん。言い放った御剣に、じゃあ何を賭けるというのかと、成歩堂は重ねて問うた。そしてその答えを聞いて、何だ僕ばかり得な条件だねと、笑った。
 
 
 かららん。
 入ってきたときと同じ鈍い音が響く。道はうっすらと粉砂糖をかけたようになっていた。道理で冷え込むと思った。一人店から出てきた御剣は息を吐く。白く煙る。そこに重なるように、ほとほとと、白い雪が降ってくる。空を覆う厚い雲は動かない。もしかしたら積もるのかもしれない。
 これでも仕事仲間に負けたことは無かったんだがなと呟いた自分に返した成歩堂の言葉を御剣は思う。そりゃあその条件出されて負けるわけにはいかないからと。そして笑った。
 御剣は言った。もしも自分が勝ったなら、その状況を打破する手伝いをさせろと。それがどんな手段でも。危ない橋でも汚い手でも、毒なら皿まで食ってやる、職権濫用がどうしたと。それで職を追われたところで何の後悔も無い。こうして離れているしかないことのほうが、御剣には耐え難かった。
 成歩堂が捏造に手を出したのではないことも、誰が彼を陥れたのかも、御剣は知っている。成歩堂が自分から距離を置くのは、検事の中でも権力者に類される御剣と犯罪によって弁護士の職を剥奪された成歩堂が一緒にいることで御剣があらぬ噂を立てられることを恐れてであり、また成歩堂の凋落を仕組んだ張本人が警戒するのを避けてのことであるとも知っている。ならばこの馬鹿げた茶番が早々に片づいてしまえば元通り親しく付き合えるではないか。自分がこの地位と権力を最大限に利用して臨めば何の資格も無くした成歩堂が孤軍奮闘するよりも遙かに早くかたがつくのではないか。御剣にはそう思えてならない。
 暗い道をゆっくりと歩きながら、御剣は目の前に並んだカードを思い出す。自分に負けを告げる五枚のトランプを厳然と突き付けながら、成歩堂は静かな声でありがとうと言った。
 彼とてあの状況に納得しているはずがないのだ。いわれのない捏造で陥れられ黙っているような人間ではない。自分の無実を晴らし自分に罪を被せた人間に一矢報いるために尽力している。使えるものは何でも利用するという姿勢であることも、御剣は気付いている。それならば自分だって利用すればいい、いいや自分はそれを利用なんて思わない。どうして助けさせてすらくれない。うつむき震える声で言った御剣に、成歩堂は。
 僕は君が好きだよ。
 そう、笑った。
 弾かれたように御剣は顔を上げる。
 だから僕は自分で何とかしなきゃあならない。僕が君に釣り合う人間だって自信を持って言える人間でいなきゃ僕は君の隣に居られない。なあだから、ありがとう。ごめんな。
 呟く声はしっかりとして揺らぎもなく。
 君が言ってくれたことは本当に本当に嬉しかったんだよと笑うその顔は昔のままの笑顔だった。
 
 雪が降る。御剣は空を見上げる。晴れていきそうにない厚く暗い鈍色の雲。冷たい雪が撫でる瞼が熱い。
 早く早く彼の無実が白日の元明らかになればいい。彼の決意通り彼が彼の手でそれを示すことが出来ればいい。御剣は心底そう思う。一人やり抜くと言った成歩堂がどんな気持ちでいるのか、御剣には痛いほど理解できる。成歩堂の決意は言ってみれば御剣を大事に思うことの裏返しであるのだから、それは偽り無く嬉しかった。
 けれど一方で。
 その決意すら曲げてでも、自分の手を取って欲しかったと。
 確かに思っている自分が居て、だから喉が痛かった。
 
 雪が降る。道を隠す。動かない雲は空を覆う。 
 どうか早く晴れてくれ。
 御剣は願った。口からするり流れ出た小さな声は降り続く粉雪に吸われて消えた。
 冷たい空気が服から出た部分の皮膚を撫でる。
 晴れて欲しいのは友人の冤罪であり自分の心であった。

 
 
 
 
 
 
 

超久しぶりにミツナルなど書きましたが
ちまたではなるほどーじゃなくてだるほどーだとか言われてるという話を聞きました
してみるとこれはみつだるとでも言うべきなのでしょうか

 
November 1, 2007
 
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