逆転裁判
きみのこえきみのてのひら
ソファの上に寝転がった響也の長い髪が流れるようにクッションを横切っていた。何と...
ソファの上に寝転がった響也の長い髪が流れるようにクッションを横切っていた。何となく本当に何となく、他意というべきものを感じる前に法介はその髪に手を伸ばした。触れようという意志さえそこにあったかどうかはよくわからない。手を伸ばしたくなったから伸ばしたというのが一番しっくりくるかもしれない。
指がその長い髪に触れるかどうかというところで手首を捕まれた。相手は完全に寝ていると思っていたので法介は少し驚いた。その驚きは腕が強張るという形で表に出たが、響也は意にも介さない様子で目を閉じたままゆるやかに笑った。
きみの手はあったかいね。
その声がとても心地良さげだったので(ああそれはこの高価なソファの寝心地によるところかもしれないのだけどいやむしろそれ以外何があるのかと自分の心は冷笑に近く笑うのだけれど)自分の手が、この体温が、彼にとって安らぐものなのだと、錯覚しそうになる。
それだけのひどく些細なことで泣きたくなった。
孤児だったという事実を自分が生きる上での逃げ道にしたくはないしするべきではないが、しかし同時にそれがゆえに得られなかったものもあるのもまた確かである。当たり前の話として親の愛がそうだ。
孤児院の先生達は皆優しかった。世間でよく聞く虐待など受けたことも無かったし大切にされてきた。だからこそ自分は法曹界などという難関に挑み頑張り抜くだけの力を持てたのだと思う。そこに嘘偽りは無い。だが自分は無二の存在では無かったともどうしようもなく感じる。受けたことが無い物は想像するしかない。だからこれは自分の勝手な想像であるが、親というのは我が子を盲目的と言うに近いほど愛し出来が悪くてもそれでも見放すことなどできないものらしい。その深く絶対の愛と、先生達が自分に(自分達に)向けてくれた愛情というものは、やはり別物ではないのかと、法介には思える。
無論彼には孤児院の職員達を責めるつもりなど毛頭無い。むしろそこにあるのは感謝である。親が向けるのと同じ愛情をたくさんの孤児達に向けるのは不可能だ。それが出来ると思える人間はよほどの楽観主義者か綺麗事を謳う偽善者だろう。他人が向ける物としては最大の愛情を彼らは自分達孤児に注いでくれた。それ以上を彼は望まない。
だが彼は、時々考える。
もしも自分が親とともに暮らしていて、自分の親が世間一般に言われるような愛情溢れた親で、ただ、ただ深くどこまでも深く愛されて育ったのならば、この、自分が誰にとってもその他大勢であるかのような諦めにも近い認識は自分の中に生まれなかっただろうかと。理由無く根拠無くただ信じるという能動的な意識さえなく当たり前のように、誰かにとって自分が唯一無二で絶対の存在になりうると感じられただろうか、と。
響也が笑う。自分の手を掴んで機嫌良く笑う。
きみが横にいてる時間が一番好きだと、まるで息をするように呟いて笑う。
明日も早いんだからさっさと布団に入って寝たほうがいいでしょうと言ってもせっかくきみがいるのにと聞かない。
言い様もなく泣きたくなるのは、そうやって響也が笑うたびに、自分だってもしかしたら他の誰かにとって唯一の絶対の取り替えのきかない存在になれるのかもしれないと思えるからだ。
もしもそれを口にすれば、かもしれない、なんて言うんじゃないよと、響也は怒るに違いない。それでもそう感じられるようになっただけでも、奇跡だと、自分は思う。
響也が、笑う。日付が変わろうとするあたりを示す時計の針を指さしもう遅いですよと言う自分の言葉にあと少しと返しながら。
きみの手はあったかいね。
違うあたたかいのはあなたの言葉であなたの手だと、たとえ体温は皮膚の温度自体は自分のほうが高いのだとしてもあたたかいのはあなたなのだと、法介は言葉を飲み込んでうつむく。そのあたたかさにまだ慣れない。これはいつか失う物だと言い聞かせている自分が居る。
法介は掴まれていないもう片方の手で、響也の額をそろそろと撫でた。響也は日だまりの猫のように笑った。
もしも。もしもこのあたたかさが隣にいることに慣れたら。自分にこのあたたかさを享受するに足る価値があるのだと思えたら。そのときは何の気後れもなく笑って言えるだろうか。
あなたを、愛しているのだと。