Crashers
センチメント
薄い紫の花を見に。
ミッション帰り、通りがかった夜の公園。
眼の端に淡い紫を捕らえて一瞬足が止まった。
その向こうに霞むものに、手を伸ばしかけた。
突き抜けて晴れた青空は、春というよりも秋の風情が感じられた。平日昼間、人気の無い閑静な緑地公園で、咲き誇る紫の花に見惚れる優士の背後から、予想もしなかった声が降ってくる。
「花見たあ、お前にも風流な趣味があったんだな」
「なっ…どうしてここに!?」
振り返ると、将人の笑みが目に入った。
「いや、偶然」
偶然通りがかるには、自宅から離れすぎた場所だ。分かっていてわざと足を向けたとしか思えない。
「そんなわけがないだろう!」
「ほう。じゃ、お前にも偶然でない心当たりがあるわけか」
ぐっと言葉に詰まった。語るに落ちるとはまさにこのことか。狼狽だけでも十分に勘繰る理由を提供してはいるものの、台詞でそれに止めを刺したようなものである。
「…昨日のミッション帰りに見つけたんだ。たまにはゆっくり花を見るのもいいと思って足を伸ばしてみた」
しぶしぶといった様子で呟く優士に、将人はどこか意味深な笑みを向けて見せた。
「ああ、お前昨日この辺で足止めただろ。珍しいな、引き上げ途中に別のものに気をとられるなんて」
立ち止まるどころか、気を惹かれたのは本当にほんの一瞬だったのだ。それを気づかれていたとは、欠片も思いはしなかった。昨日の今日で来たのは失敗だったかと、優士は苦虫を噛み潰したような顔でため息をついた。この分では、黎一や成も気づいているのかもしれない。
「良い藤だ。ちょうど見ごろだろ。よく見つけたな」
時々吹いてくる風に今を盛りと咲く花の房が揺れ、花びらがひらひらと舞い散る。
「ああ、…綺麗だ」
薄くけむる紫色。
真っ青な空よりも、眼に染みる。痛いほど。
「お前の花見は、桜じゃないんだな」
何でもないことのように将人が呟いた一言に、思わず息を呑んだ。
心もふわふわと浮かれるような花ではなく、誰もいない静かな公園の、憂いさえ思わせる紫の花を選んだ。楽しむというには、余りに沈んだ表情で眺める薄色。
「本当はお前の見てるのは、花じゃないんだろ?」
憎らしいほど正解に、頷くこともできない。
目の前の藤の花と、追憶の向こうにある消えない紫を重ねた。
淡いくせに褪せない紫。
苦しくても、捨てたくても、消えてくれない。
『大切なもの? そんなのないよ』
道端ですれ違う高校生らしき集団から聞こえてきた雑談の一言に思わず苦笑が漏れた。
きっと幸せに違いない。気づかずにいられるなら、それは大切なものを失ったことが無いということだから。
大切なものは失って初めて気づくものなんて、陳腐な台詞だと思っていた。
けれど腐るほどに繰り返し使われてきたということはすなわち、それほどに真実を指しているとは言えないか。
言われるままに離した手を、今も後悔していた。
今なら、今更、何が本当に捨てられないものなのか、腹が立つほど良くわかる。
つまらないプライドとか、自分の矜持とか、貫けなくたっていい。失いたくなかったのはひとつだけ。軽口を叩いては自分を怒らせたことさえ懐かしい。
今、どこで、何してる?
幸せになれないだろうことをわかって呟く言葉は痛い。
蘭の花、藤の色、―――事あるごとに想い出しているよ
二度と会えないなら、死んでしまったのと同じ
記憶の痕しかたどれずに、手のひらに後悔と指先に焦燥を握り締めるようにして、それでも、知らずにいる幸せを選べない。
風に揺れる藤の花に、今はいない人を想う。
何と言われても、恨まれたとしても離したくなかったのが本当だった。
自分の側に戻るなら、この手汚して手伝ったってかまわない。
今ならもう、答えを間違えたりしないのに。
足下に積もる薄い紫の花びらが、後悔のように思えた。